大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

岐阜地方裁判所 昭和44年(ワ)506号 判決 1972年7月17日

原告

小野木敏子

ほか五名

被告

主文

一  被告は原告小野木敏子に対し金三九万三、六一八円、同小野木常男、同小野木忠、同小野木進に対し各金二六万二、四一二円同森賢男に対し金一五万円同太田雅彦に対し金二四万七、〇四六円およびこれらに対する昭和四二年一二月一六日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

(一)  被告は原告小野木敏子に対し金二〇三万五、〇〇〇円同小野木常男、同小野木忠、同小野木進に対し各金一三五万六、六六六円同森賢男に対し金五四万九、九〇〇円、同太田雅彦に対し金六一万七、六一五円およびこれらに対する昭和四二年一二月一六日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  仮に原告太田雅彦の請求が認められないとすれば、予備的にこれに代えて被告は原告小野木敏子に対し金二二万八、八〇五円、同小野木常男、同小野木忠、同小野木進に対し各金一四万二、九三六円およびこれらに対する昭和四二年一二月一六日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(三)  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言を求めた。

二  請求の趣旨に対する答弁

(一)  原告の請求はこれを棄却する。

(二)  訴訟費用は原告らの負担とする。

(三)  仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

(請求の原因)

一  事故の発生

訴外亡小野木善司はコンクリート製品等の販売を業としていた原告太田雅彦からコンクリートパイルの運搬を託され、右業務のため岐阜市内より阪神方面に向け右製品を搭載し、昭和四二年一二月一六日午前二時〇分頃、普通貨物自動車(岐一そ四五三七)を運転し、これに原告森賢男を運転助手として同乗させて、一級国道二一号線を西進し、折柄岐阜県不破郡関ケ原町大字山中一、〇一八番地先附近に至り、時速約四〇キロの速度で走行中、右国道の西行車道センターライン寄りの部分に穴状の路面沈下(以下本件凹みという)箇所があり、この凹みに前輪を嵌落させたがため、遂にハンドル操作の自由を失い、右車両を路外に転落させ、よつて頭部外傷Ⅱ型顔面裂挫傷・左大腿骨骨折、左第二中足骨および第三趾趾骨骨折の傷害を受けた。同乗していた原告森賢男もまた右事故の結果、腹部打撲、左第三、第四腰椎横突起骨折、右骨盤骨折の傷害を受けた。

二  被告の責任の根拠

本件国道は被告に管理義務のある一般国道に属し東海阪神を結ぶ幹線道路であり、その有効幅員は約七・五メートル、コンクリートにより舗装されたものであるが、本件事故当時、本件国道の前記箇所には、南北(進行方向に対して左右の方向)約一・八メートル、東西約一・三メートル、深さ約〇・一メートルの凹みが発生していた。これは明らかに国家賠償法第二条第一項の道路の管理の瑕疵に当る。いうまでもなく右道路を使用する現今の交通極めて頻繁の状況下において、安全且つ円滑なる交通の用を確保する目的に従つて、道路管理者として本件道路路面の無瑕疵の状態を維持保守すべき管理補修の義務があり、これは道路交通上の事故の発生を未然に防止する責任に通じるものである。

三  損害

(一) 訴外亡小野木善司の分

(1) 逸失利益

右訴外人は本件事故による前記傷害の結果、昭和四二年一二月一六日から翌四三年五月一一日まで関ケ原病院外科に入院して治療を受け、退院後も約一カ月間通院して治療を受けたが、運動障害等相当程度の後遺症を免れえず、労働能力が著るしく低下してしまつたので、本訴提起当時(昭和四四年一〇月一七日)三日に一回程度自動車運転助手として勤務するのが漸くのことであり、月収は金一万五、〇〇〇円程度となるに至つた。同人は本件事故前に年収として少なくも金六〇万円を得ていたから、減収は年額金四二万円と評価できる。同人は本件事故当時満三三才一〇カ月であり、右時点から稼働可能年令と認められる満六五才に達するまでの労働可能年数を算出すれば三一年となるから、ホフマン式計算法により中間利息を年五分として控除して、同人の実質的損害は金五一〇万五、〇〇〇円に達するということができる。(但し一〇〇円未満は切捨。)

<省略>

(2) 慰藉料

右訴外人は、本訴提起時において、回復の見込のない歩行障害を有する生涯の不具者となり、前記のように労働能力は著るしく低下するに至つたところ、妻と幼少の三子を有し、生活保護を受けながらの者を扶養せねばならず、その精神的苦痛は測り知れず、少なくも金一〇〇万円をもつて慰藉されるべきであつた。

(二) 原告森賢男の分

(1) 逸失利益

同原告は前記傷害の結果、入院期間を含め五ケ月間休業を余儀なくされた。同人の本件事故前の月収は自動車運転助手として金四万五、〇〇〇円であつたから、その間の得べかりし利益金二二万五、〇〇〇円を失つたこととなるところ、自動車賠償保険により金一三万余円の支払いを受けているので、実質的な逸失利益は金八万余円となるから、そのうち四万九、九〇〇円を逸失利益として請求する。

(2) 慰藉料

同原告は、前記傷害に基因して労働能力が著るしく低下したため、本訴提起当時において、ドアマン程度の薄給労働従事するほかなく、その精神的苦痛は測り知れないものがある。これに対しては少なくも金五〇万円をもつて慰藉さるべきである。

(三) 原告太田雅彦の分

本件事故車である前記普通貨物自動車は、同原告の所有であり、新車価額金八一万七、六一五円であつたが、金一六万円の初回金員を支払つた段階で事故に遭つたので、当時においては金六五万七、六一五円の価値を有していたところ、本件事故により殆んど全部的の破損を蒙つたため、その評価額は金四万円となるに至つた。従つて同原告はその差額金六一万七、六一五円の損害賠償を所有者として請求できる。

(四) 原告太田雅彦の本位的請求に対する亡小野木善司の予備的請求の分

仮に本件事故車である前掲自動車の所有権が、本件事故当時において、原告太田雅彦から亡小野木善司に移転していたために原告太田雅彦の請求が認められないとすれば、右訴外人が前記(三)のとおり自動車破損による損害を受けたことになり、同人が被告に対し同額の賠償請求権を被告に対し取得した。

四  相続

前記小野木善司は昭和四六年一月一七日本件事故以外の原因で死亡した。これに伴ない同人の妻である原告小野木敏子、子である原告小野木常男、同小野木忠、同小野木進の合計四名は法定相続分により被相続人の権利義務一切を共同相続した。

よつて原告らは被告に対しそれぞれ請求の趣旨記載の各金額およびこれに対する事故の日から各支済に至るまで民法所定年五分の割合による損害金の支払いをなすよう求める。

(請求の原因に対する答弁)

一  請求原因第一項の主張事実中、原告ら主張の国道の箇所に凹みがあつたことは認めるが、右の凹みと本件事故との因果関係については否認する。その余の部分は不知。たとい本件凹み程度(後述のとおり直径約四〇センチメートル、深さ約一〇センチメートルの摺り鉢状の穴)の穴に本件事故車の前輪が嵌落しても、その際の衝撃は極めて軽微で、ハンドルから手が離れてしまうようなことは到底考えられず、右前輪を落した場合に車両の進行方向が若干右側に変ることはあつても、力学上からも計出できる非常に軽度の力でハンドルの修正が可能であるから、元来原告主張の事実をもつてしても、本件のごとき事故の発生に至る筈がなく、本件事故は本件凹みに起因するものではなくして、もつぱら訴外小野木善司運転手のハンドル操作の過誤により惹起されたものであり、いわば自損行為である。なお後出の仮定抗弁を参照

二  第二項の主張事実中、本件国道が被告の管理する一般国道(国道二一号線)であり、その有効幅員が約七・五メートルでコンクリート舗装のものであることは認めるが、その余の部分は全部否認する。本件凹みの大きさが原告らが主張するようなものではなく、直径約四〇センチメートル、深さ約一〇センチメートルのいわゆる摺り鉢状のものであつたこと、並びに後記のような道路管理の目的、性質から考えれば、右のような一時の僅な凹みの生じていたことは、被告の道路管理の瑕疵に当らず、国家賠償責任の発生事由に当らないことは明白である。

特に被告は本件道路の維持管理につき、以下のとおり万全の措置を講じていたものである。すなわち、本件国道上事故現場附近は、昭和三七年三月二五日建設省岐阜国道工事事務所が直轄で舗装工事を施行完成したもので、厚さ〇・二三メートルを有する長さ六メートル、幅三・七五メートルのコンクリート一枚板を使用し、六メートルごとの目地には版の不等沈下、段違い防止のため直径二二ミリメートル、長さ〇・六〇メートルの伸縮用丸鋼が舗装中心部に〇・三〇メートル間隔で入れられており、各舗装版には亀裂や破損の防止のため表面から〇・〇五メートル下の部位に直径六ミリメートル材を使用した鉄製網を連続して挿入してある。また一立方センチメートル当り一五キログラム以上の地耐力を保持させるため深さ〇・三〇メートルに切込砂利を敷いてある。一部舗装の老化又は亀裂部についてはアスフアルトによる被覆補修作業を行つて来た。

次に、本件国道の維持管理機関として、被告は前記工事事務所所管のもとに岐阜国道維持出張所関ケ原工区を設け、ここに監視員二名および作業員数名を配置し、道路作業車を配備して、排水、穴埋め等の路面の補修および道路区域全般にわたる交通上の支障の有無の検認に従事させ、平常の休日を除くパトロールのほか、冬期には雪寒対策期間を設けて日夜特別のパトロールを実施させ、路面路肩の状況、山腹よりの落石の有無、道路標識の整備の調査等異常があればただちに修理等させており、現に本件事故発生の二日前の昭和四二年一二月一三日までに、本件事故発生区間の維持作業工事を実施し、路面の段落、穴ぼこの補修を完了した。また本件事故発生の前夜から当朝にかけて、夕刻来風雪注意の気象情報も発せられていたので、四回パトロールを実施しており、一五日午後一〇時一〇分より同時五〇分の間に行なつたパトロールで、監視員は本件事故現場附近に小さな穴を現認したが、安全を保守のため監視員はわざわざパトロール車の車輪を右穴の部位に通過させてみて、交通には支障のないことを確認している。従つて道路管理者としては十分交通の安全性を図つてきたものである。道路の安全性とは、あくまで、道路の存する地形、地質、気象その他の状況並びに交通状況を考慮し、通常の衝撃に対し安全であれば足りることであり(道路法第二九条)、一般の人車の使用に堪える程度に平滑且つ安全なものであれば十分であり(同法第四二条)、それ以上に特殊な運転状況、特別な走行をしている人車に対してまで絶対的に完全な安全性を要求されているものではないのである。

三  第三項の主張事実は全部否認する。

(一)の(1)について(小野木善司の逸失利益)

小野木善司には、本件事故より約一〇年以前の外傷に基づく正座が不能、歩行跛行を伴なうかなり重い左膝関節の機能障害があつた。従つて同人に原告ら主張の後遺症状があつたとしても、本件事故による傷害だけで生ぜしめられたということができず、全体として一〇級のものが八級に、あるいは一二級のものが一〇級に進級すると見られる程度に過ぎない。とすれば、進級による残存傷害に対してのみ賠償がされるべきであつて、仮に進級分が一二級相当であるとしてもその額はせいぜい五二万程度に過ぎない。また、同人は事故直後から被告の措置により生活保護法の規定により、医療扶助、生活扶助、教育扶助の各保護費合計金八五万二、五二五円の給付を受けているので、これを勘案すれば事故による実質的損害はないというに等しい。

(一)の(2)について(右同人の慰藉料)

右同人の従前の生活状況、地位、家族構成、その後の就労状況、並びに従前の運転態度が極めて粗暴であり、既に二三回にも亘り道路交通法違反、業務上過失傷害等刑事被告事件で処罰を受けている事実を考えると、その慰藉料の額は相当程度大幅に減額されて然るべきである。

(二)の(1)、(2)について(原告森賢男の逸失利益等)

同原告は自動車損害賠償保険法により、治療期間に応ずる補償額(休業損、慰藉料を含む)として金一七万五、一〇〇円を既に受領しており、損害額は補てんされている。また、同人は本訴提起後今日に至るまでその所在が不明であり、同原告本人の尋問すらなされ得ない状況にあり、この点は慰藉料を認めるとしても十分に考慮されるべきである。

(三)について(原告太田雅彦の損害)

本件事故車両は同人名義で買い入れたものを本件事故発生前に前記小野木善司に譲渡したものであり、その車両保険も右訴外人が加入しているので、事故当時、原告太田雅彦はその所有権を既に喪失しているものである。

第四項の主張事実は認める。

(仮定抗弁)

仮に本件事故の発生につき被告に責任があるとしても、前記小野木善司には本件事故発生につき次のような重大な過失があるから、八割以上の過失相殺がなされるべきである。

すなわち、本件事故現場附近は極めて見透しが良く、片側一車線で前記のように有効幅員は三・七五メートルあり、小野木善司運転の貨物自動車の車幅は二・一六メートルであるから、かりそめにもキープレフトの原則を守つておれば本件事故には遭遇しなかつた訳である。ところが同人の運転した事故車はコンクリートパイル二五本という相当の重量物を積載しているのに、制限速度毎時六〇キロメートルを優に超える七〇キロメートルないしそれ以上の高速で現場に差掛つたのであつて、さような状況であるにも拘らず漫然前方注視、並びに前方の安全注意(路面の状況に対する判断を含む)の各義務の履行を怠り、危険に応ずる減速、急停車、緊急回避義務のいずれをも尽くすことなく本件事故を招いたもので、その運転上の過失はまことに重大である。事故現場に残したブレーキ痕が一方のみであるということから推測される。整備不良車両の運転についての過失もまた挙げられる。

また、右小野木善司は原告太田雅彦の従業員であつたから、同訴外人に上記のような過失がある以上、原告太田雅彦の損害額の算定についても、過失相殺は当然になされるべきである。

(仮定抗弁に対する認否)

全部否認する。

第三証拠〔略〕

理由

一  本件国道が被告の管理する道路法第三条、第五条にいう一般国道(二一号線)であり、その有効幅員が七・五メートル(片側一車線三・七五メートル)、コンクリート舗装のものであること、右国道の原告ら主張の箇所に凹みが存したこと、および請求原因第四項の事実については当事者間に争いがなく、また、右国道が一級国道であることについては被告は明らかに争わないのでこれを自白したものとみなす。〔証拠略〕によれば、訴外亡小野木善司は、昭和四二年一二月一六日午前二時〇分頃、普通貨物自動車(岐一そ四五三七)に原告森賢男を同乗させて右車両を運転し、本件国道を大垣方面から米原方面へ向つて西進中、右国道のセンターラインよりやや左寄りのところ(本件凹みが存した地点)から突然暴走して斜右前方約三七メートルの地点にある近鉄バス待合所に激突のうえ、右車両が路外に転落する交通事故に遭遇し、右訴外人および原告森賢男は原告ら主張のそれぞれの傷害を受けたことが認められる。

そこで、まず本件凹みの形状および右凹みと本件事故との因果関係について判断する。〔証拠略〕を総合すると、本件道路は完全舗装のコンクリート道路で、本件凹みは、直径が約三〇ないし四〇センチメートル、深さが約一〇センチメートルの所謂摺り鉢状をなしており、この凹みの周囲には、アスフアルトが剥離したために二センチ程度路面がやや沈下したようになつている部分が拡がつており、右剥離部分の大きさは南北に約一・八メートル、東西に約一・三メートルであつたことが認められる。そして〔証拠略〕によれば、右小野木善司の運転する車両の前車輪が本件凹みの上を通過したこと、右車両が本件凹み上を通過した際に「ドカン」という大きな音を伴つて衝撃が生じ、その衝撃と同時に右運転車両が左斜前方に約七メートル、更に右斜前方に約三〇メートル暴走したこと、〔証拠略〕によれば、本件車両のタイヤの幅が約二〇センチメートルであるから、小野木善司は右車両の運転中に前輪を本件凹みに嵌落せしめることにより、その衝撃によつて同人はハンドル操作の自由を失い、これが前記認定の暴走の直接の原因となり、延いて本件事故による前認定の両名の傷害が惹起したと認められる。この点の解明につき、〔証拠略〕によれば、本件自動車の製造業者である三菱自動車工業株式会社に属する事業部第二技術センター所属の研究員が車の進行方向に向つて長さ〇・六メートル、幅一メートル、深さ一〇センチメートルの凹みを設定して本件事故車と同一の車種、年式の車両(積載重量も同一)を時速三〇ないし六〇キロメートルで走行させ、右凹みに右側前輪を嵌落させる実験を行つたところ、時速四〇キロメートルの場合には、(イ)ステヤリングホイールの接線方向に三五ないし五二キログラムの力が瞬間的且つ左右交互に作用する。(ロ)右の作用力は最初ステヤリングホイールを強制的に右側に次いで左側に操舵されるように振動的に発生し、この作用力は約〇・六秒間で減衰し消滅する。(ハ)運転手が従来の進路を維持するためにハンドル修正をする場合、これに要する操舵力としては一〇キログラム程度で十分であり、進路修正も容易である。(ニ)実験車の運転手が右の実験においてハンドルを取られるようなことも実際にはなかつた。そして、速度が時速六〇キロメートルの場合は、衝撃力は四〇キロの場合よりも相当大きくなるが、衝撃の継続時間が短時間であるので右の場合と大差がなかつた。との結論が得られたことが認められる。しかしながら〔証拠略〕によれば、凹みに車輪が落ちた場合、落ちた時と乗り上げる時の二度に衝撃を受けることになり、落ちた時の受けた衝撃による振動が乗り上げる時のそれと重なり合うと場合によつては非常に大きな振動になることがあるということも認められるうえに、本件凹みと実験のために設定された凹みとでは大きさ、形状等において異なるものが指摘されるのみならず、右のように、凹みに落ちる時と乗り上げる時の振動が重なつて、その結果実験においては見られなかつた大きな振動が生じた可能性はこれを判断の上で採ることもできるし、また凹みに落ちることを予期して運転する実験の場合と、凹みに落ちることを全く予期していない実際の事故の場合とでは、凹みに落ちた時の運転手の受ける身体的および心理的な衝撃ないし動揺は相当に異なるであろうことは公知の事実であつて、それらのためハンドルを取られ咄嗟に適切なハンドル操作ができなかつたと考えることも十分可能であるから、右実験結果のあることをもつてしてもいまだ前記認定の因果関係を覆すには足らないというべきである。

なお、〔証拠略〕によれば、本件事故では、凹みに落ちたあと約七メートル左の方向に進行した後、約三〇メートル右の方向に走行していることが認められるのに対し、〔証拠略〕によれば、右実験結果では、右側前輪を凹みに落とした場合には、右のような現象は見られず、むしろ逆の現象になることが認められるが、これとても本件の場合、凹みに落ちた前車輪が右側だつたか左側だつたのかは本件全証拠によつても不明であり、〔証拠略〕によると、小野木善司は本件凹みを約三メートル直前に発見していること、および同人の先行車が右凹みを避けるため右にハンドルを切つていることが認められるので、右事実から推測すると、小野木善司が或いは凹みを避けようとしてハンドルを右に切つたがために左側前輪が凹みに落ちたと考えられなくもないから、小野木善司運転の車両の事故現場における走行経路の如何は本件の暴走と路外建物との衝突、これによる前記傷害との因果関係については前記認定を覆すにまで至るものでないと認める。

三  次に被告の責任(道路管理の瑕疵)について判断する。国家賠償法第二条第一項にいう道路の管理の瑕疵とは同条項にいう設置の瑕疵が道路の建造の不完全により原始的に存する瑕疵であるのに対し、管理の瑕疵は道路の維持、修繕の不完全により後発的に生じた安全性欠如の物理的状況であつて、道路がその用途に応じ通常当然に備えるべき安全性を欠いている状態を指称するものである。本件凹みが前記認定のとおり直径三〇ないし四〇センチメートル 深さ約一〇センチメートルの摺り鉢状の穴を成し、道路中央部分に存し、一級国道で極めて交通量の多い道路上その余は完全舗装のコンクリート道路なのであるから、車両の運転者としては何らかの原因によりこれを発見できず又は見落し、或いは危険性についての十分な判断ができず、過誤を伴なつて陥落部分を通過することにより意外の衝撃を受け、これが因果関係を伴つて人車の安全の障害を来すことがないとはいえず、その意味で右程度の欠陥であつても、交通の円滑安全には例外の運転を問うまでもなく既に危険を生ぜしめる状態に達しているものというべく、道路の管理の瑕疵を帯びているというのが至当である。もつとも、右附近の道路の構造については、〔証拠略〕により被告主張のとおり認めることができるが、これをもつて右瑕疵の認定を覆すには到底足らない。

〔証拠略〕によれば、被告国は本件国道を管理するために岐阜国道工事事務所、岐阜国道維持出張所関ケ原工区を設置し、ここに監視員二名、作業員数名を配置し、少なくとも一日一回、また、特に冬季には冬季雪寒対策期間(一二月一五日から翌年三月一五日まで)を設け、一日数回受持全区間のパトロールを実施し、路面、路肩の状況、道路標識等の有無などを調査し、異常があれば直ちに修理などして本件国道の維持管理を行ない、事故の防止に努めていたことが認められるが、道路の管理の瑕疵の認定については、道路管理者の行為で直接有形的に物理的危険状態を避止するべき措置をした場合を除き、一般に斟酌すべきでないと解するから本件事故についての被告国の責任の有無については、直接危険避止の措置が現場でなされていなかつた以上、別段結論を左右するに足りないと認める。

四  ところで、被告は、仮定的に過失相殺を主張するので、この点について検討する。〔証拠略〕を総合すれば、本件国道上にはアスフアルトによる路面の補修した跡が散在しており、それらが黒つぽく見え、また本件凹みも路面が濡れていると黒つぽく見えるので、夜間においては、識別、発見がやや困難であつたことが窺われる。しかし右証拠によれば、反面小野木善司は本件国道を週に三回位通つていたので路面に凹みが散在していたことを知悉していたこと、また、先行車が本件凹みに気付き回避して走行し、これに追従して進行していた小野木善司も先行車が障害物を回避するため進路変更したことを目撃していることが認められるうえに、右訴外人自身も本件凹みの直前約三メートルの地点に至つてこれを発見し回避しようとしたこと、更に後述のとおり時速約六〇キロメートル前後の速度で進行していたと推測されるのに先行車との車間距離を約一五メートルしかとつていなかつたことが認められ、右に反する証拠はなく、これらの諸事実によれば、小野木善司は、夜間の運転ではあるが、熟達した貨物自動車運転者として一般に要求される程度に路面の状況を注視し、先行車との車間距離を十分に保つて運転し、更に臨機の措置を行ない得るだけの余裕を持つておれば本件の凹みに嵌落し、本件のごとき重大な結果を生ずる暴走は十分容易に避け得たであろうと認められ、右の諸注意義務の違反が本件事故の重要な一因をなしていることは明らかであるから、右過失は損害賠償額の算定上考慮さるべきであり、右訴外人が自己の過失により分担すべき割合は六割とするのが相当である。しかし、被告が主張する右小野木善司の右以外の過失については、速度の点につき若干の疑は残るが、主張を認定するに足る十分の証拠がないというべきである。

五  最後に、損害額の点につき、原告ら主張の項目に従つて検討する。

(一)  亡小野木善司の逸失利益

〔証拠略〕によれば、小野木善司は、本件事故による受傷以前には、貨物自動車の運転手として稼働することにより、少なくとも月収金五万円を得ていたこと。同人は昭和四二年一二月一六日から翌四三年五月一一日まで本件受傷によつて入院治療を受けていたこと、次いで同人は昭和四二年一二月二二日から昭和四五年三月三一日までの期間、被告から生活保護法の規定により医療、生活、教育にかかる扶助として合計金八五万二、五二五円の給付を受け、内金二七万二、一八二円は医療扶助であつたから、生活、教育の扶助としては二年三月間に合計金五八万余円の支給であつたこと。右生活保護法の規定による受給期間中は、同人は概ね無収入であつたこと、しかして同人は昭和四三年五月一一日左下肢の運動機能障害を残したまま歩行練習の段階で退院したのであるが、それより約一年五月を経過した後の本訴提起時である同四四年一〇月一七日頃にも、なお後遺症として認めるべき右部位の運動障害があり、そのため従前のように自動車運転手としては稼働することができず、旧時のように原告太田雅彦方に勤務したものの、精々三日に一回程度運転助手として従業できる程度であつたことが認められる。ところで、この運転助手としての月収額について、原告らは金一万五、〇〇〇円と主張するが、右金額を明確に立証する証拠はなく、かえつて〔証拠略〕によると、小野木善司は当時運転助手としては一日に金二、五〇〇円ないし金三、〇〇〇円の収入を得ていたことが認められるので、三日に一回勤務するとして同人の月収を推計すると二万五、〇〇〇円と算定するのを相当とする。なお、〔証拠略〕によれば、小野木善司には、被告主張のとおり、本件事故以前の外傷に基因する左膝関節の機能障害があり、そのため本件事故当時既に正座が不能で跛行する程度の状況を有していたことが認められるほか、同人の主治医としての右証人の判断としては、本件事故による傷害のために増悪した左足の運動機能障害は、労働者災害補償保険法別表第二により、一二級程度のものが一〇級程度のものに、もしくは一〇級程度のものが八級程度になつたものというべきことが認められる。しかしながら、かかる前症状があればといつて本件事故と前記増悪を加えた後遺症との間に因果関係のあることはいうまでもないことである。

右小野木善司の逸失利益につき、原告らは減収期間を労働可能見込年数に従つて三一年としているが、小野木善司が昭和四六年一月一七日に死亡したことは当事者間に争いがないので、そうだとすれば本件事故によつて生じた得べかりし利益の喪失は右同人の死亡時までの期間とするのが相当である。従つて前記認定のとおり右同人の事故前後の比較による収入減少額は月額金三万五、〇〇〇円、その算定期間は本件事故の生じた昭和四二年一二月一六日から同四六年一月一七日までで三年一ケ月となり、これを月別累計によるホフマン式計算法(年利五分)により計算すると、同人の逸失利益は金一二〇万二、一四〇円となるが同人に対しては前述のように過失相殺として六割を減額すべきであるから、結局右同人にかかる逸失利益の請求としては金四八万〇、八五六円を認容できるものである。

なお、被告は生活保護法の規定による保護費を前記のとおり小野木善司に支給しているので、これを控除すべきである旨主張するが、生活保護法による保護の支給措置は、国が生活に困窮する者に対して、その程度に応じて必要な保護を要急の状態に応じてなし、最低限度の生活を保障すると共にその目立を促すことを目的とするものであり、交通事故による損害の填補としての性質を有するものではないことが明らかであるから、損害賠償金員から控除すべきではない。

(二)  小野木善司にかかる慰藉料

右同人の受傷前後の就労状況、本件事故による受傷の状況、および前記認定の後遺症の発生の程度、入院治療期間および労働能力の喪失程度、並びに家族構成と前記認定のとおりの同人自身の過失の程度等を総合して考えると、被告は本件道路管理の瑕疵に基づく事故に基因する右同人に対する損害賠償として、そのうち慰藉料としては、金七〇万円の支払義務を肯認するのが相当と認められる。

(三)  原告森賢男の逸失利益および慰藉料〔証拠略〕によれば、右原告森賢男は本件事故による受傷の結果、入院日数五四日を含めて四カ月間の休業を余儀なくされたこと、事故前の収入額は自動車運転助手として平均月額金三万九、五〇〇円であつたこと、自動車損害賠償保障法による保険給付金として、休業等の補償として金一七万五、〇〇〇円の給付を受けていることが認められる。してみれば、同人の休業による逸失利益は既に全額填補されているものというべく、従つてこの点の右原告の請求は理由がない。同原告は休業期間、事故前の収入月額につきそれぞれ右認定を上廻る主張をしているが、右主張を立証する証拠は何もない。

慰藉料の点については、同人の本件事故による受傷程度、入院期間等前記認定の事実をもとに判断して、被告は同人に対し金一五万円の支払義務ありと認めるのが相当である。

(四)  原告太田雅彦の損害(自動車の損害)

〔証拠略〕によれば、原告太田雅彦は、昭和四二年一一月二日に訴外名古屋三菱ふそう自動車販売株式会社より、所有権留保割賦販売の方式により本件自動車を代金八一万七、六一五円で、内金として金一六万円を即時支払い、残金は同年一二月二五日から昭和四四年二月二五日まで一五回に分けて支払う約で買い受け、その際右の分割された支払債務に応じそれぞれの弁済期を支払期日とした同原告振出の約束手形を右訴外会社に交付したこと、そして、同原告は本件事故より少し以前に、同原告の運転事業を下請していた小野木善司に対し右割賦代金を右同人の請負代金より差引く条件で本件自動車を譲渡したが、その直後に本件事故が発生して右小野木善司には支払能力がなくなつたので、右同人からは全く弁済を受けることができなくなるに至つたため、同原告が結局自己の負担で前記手形全部を決済したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右によれば、本件事故当時自動車の所有権は同原告から訴外小野木善司に対し譲渡された形式にはなつているが、これはあくまでも右両名の密接な下請関係に基因する約定に出るものであり、本件損害賠償請求に当つては、結局は同原告が自動車代金の全部を自己の負担で支払つたのであるから、同原告においてその名義で行使できると認定するのが相当であり、一方所有権留保約款付の割賦販売契約関係下でも、同原告が車両の引渡後の専属的使用者として自ら損害賠償請求の権利行使をするについて法律上障害となるべきものはない。そこで前記のとおり、本件自動車は昭和四二年一一月二日に新車で購入し、事故日である同年一二月一六日までの間、約一ケ月半使用されたものであるから、これに、減価償却資産の耐用年数等に関する省令(昭和四〇年大蔵省令第一五号)を参照適用し、一年間の償却率〇・三一九をもつて事故当時の時価を計算すると、

時価=817,615-(817,615×0.319×1.5/12)=785,013

となり、少なくも原告主張の金六五万七、六一五円以上の価値が存したことが認められ、また、〔証拠略〕によれば、本件事故後の本件自動車の価値は日本自動車査定協会の査定によれば、金四万円であつたことが認められ、右に反する証拠はないので、本件事故による自動車の大破による物的損害額は事故当時前後の比較により、減価した差額である金六一万七、六一五円であると認められる。

しかしながら、〔証拠略〕によれば、前記のように小野木善司は原告太田雅彦のコンクリートパイル等を運搬する業務を専属的に下請していたもので、右太田雅彦の従業員ではないが、前記認定のように同原告は小野木善司に対しその下請業務に進んで使用させんがため、頭金一六万円を支払つて購入した新車の本件自動車を譲渡したものであり、その代金の返済方法についても両名間の特殊な連係関係を基礎に請負代金から差し引くことにするなど、特別の便宜を図つていたことが認められ、右に反する証拠はなく、そのような関係のもとでは、原告太田雅彦と小野木善司とは単なる元請人、下請人以上の雇用関係に近い関係にあつたものと認定するのが妥当というべく、かような状況に照らせば、原告太田雅彦の被告に対する物損についての賠償請求についても、右小野木善司の前記過失による過失相殺を対抗せしめるのが相当である。従つて、被告において同原告に賠償すべき金額は右損害額の四割である金二四万七、〇四六円と認める。

六  以上の次第であるから、被告は国道管理の瑕疵に基づく損害賠償として、国家賠償法第二条第一項に従い、亡小野木善司の逸失利益金四八万〇、八五六円と慰藉料金七〇万円の合計金一一八万〇、八五六円につき、共同相続があつたから法定相続分に従いこれを九等分し、妻原告小野木敏子に対しては九分の三に該当する金三九万三、六一八円を、子である原告小野木常男、同小野木忠、同小野木進に対してはそれぞれ九分の二に該当する各金二六万二、四一二円を、次に原告森賢男に対しては慰藉料金一五万円を、原告太田雅彦に対しては金二四万七、〇四六円を、いずれもこれらに対する事故の日である昭和四二年一二月一六日から支払済に至るまで民法所定の遅延損害金として年五分の割合による金員と共に支払うべき義務がある。そこで右原告らの本訴請求のうち右限度内で理由があるからこれを認容し、その余の部分は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条但書、第九三条但書を、仮執行の宣言につき同法第一九六条一項(なお、仮執行の免脱宣言の申立は相当でないのでこれを却下する)を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 石川正夫 岡山宏 内山弘道)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例